言語教育関係者がひそかにとてもとても参考にしているメルマガ、ルビュ、
そこに私の活動や考えについて言及してもらう記事がでました。
とても考えさせれるポストなので共有します。
細川先生ありがとうございます。
「自由とは自分のことを自ら決める力」、
そう思います。そして、その力はみんなもっている。
いろいろなことによって隠されているだけだと思います。
内在する力を呼び覚ますようなことばの対話的活動の場になればと思います。
また、ルビュをもし読んだことがない方がいたら、この機会にぜひぜひ登録を!
■ 研究所より ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
自由とは,自分のことを自ら決める力
細川 英雄
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松田真希子さん(金沢大学)がこのところCLD児の課題について取り組んで
いる。
「CLD児を日本の社会と教育を変える力に」
その松田さんと少し長いやりとりをしたとき,最近,外国の子どもたちの思考
の自由を奪うような活動がさまざまなところで行われているという話も聞いた。
学習支援といいながら,正解を押し付ける練習を子どもたちに強いているよう
だ。
そういうことの起こる原因は,自由の大切さへの無知を感じざるを得ない。
では,自由の大切さを知るとは何か,その自由になれる方法とは何か。
この問いに答えるのが,フレイレの人間化の活動である。
フレイレは,対話によって個人は人間化するということを指摘したからだ。
ところが,多くの人は,対話的活動の方法論を知りたい,自分の教育実践にと
りいれたいということにとらわれて,対話をハウツーとして捉えているようで
ある。
たとえば,対話的活動ができるようになるにはどうしたらいいか,と考える人
は,対話の活動そのものを,今,自分ができていないことができるようになる
活動と解釈するのかもしれない。
対話は本来,日常の生活の中でだれでもが無意識的に行っているはずである。
だから特別なことでも何でもないものである。物を考えるということ自体,も
う一人の自分との,一つの対話なのだから。
自分がすでに他者と対話的につながって生きているということに自覚的になる
活動であるといってもいいだろう。
しかし,「対話」というと,ふだんのコミュニケーションとは違う特別なコミュ
ニケーションだと身構えているのではないだろうか。
そこで,対話とは何かわからない。わからないからだれかにこれでよいかと判
断を仰ぐ。
つまり,自分は対話をどう考え,どう人と接したいかを,自分で決める自由を
放棄してしまうのだ。
この自分で決める自由こそ,人が社会において他者とともに生きていくために
必要なことなのではないかと強く思う。
その自由の感覚を持たないと,学習支援といいながら,平気で正解を押し付け
る練習を子どもたちに強いるようなことをして,しかもそれが非人間的な行為
であることに気づかない不幸に陥る。
自由とは,自分のことを自ら決める力なのかもしれない。
このことを改めて考えためのヒントとなった,松田さんに御礼申し上げる。
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2020-06-19] Revue Langue,Culture et Education. n.755
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[ 週刊 ] ル ビ ュ 言 語 文 化 教 育(RLCE) ─755号─
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誌 名:ルビュ「言語文化教育」755号
発行日:2020年6月19日
発行所:言語文化教育研究所 八ヶ岳アカデメイア
〒408-0311 山梨県北杜市白州町花水278-43
編集,発行責任者:細川英雄
配信システム:まぐまぐ
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